吉本の美容番長『シルク姉さん』の笑顔に隠された壮絶な過去

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いまやバライティ番組にかかせない「女芸人」の存在。

オアシズやハリセンボン、森三中など外見からして「芸人」という風貌をもつ芸人もいれば、周りの女優にも劣らないような「ビジュアル女芸人」も最近では見かけるようになっています。

「吉本の美容番長」として知られるタレントのシルクさんもその一人。年齢不詳の若々しさと独自の美容法で男性芸人だけでなく、大物をも魅了する美貌をもっています。

そんな彼女もかつては漫才師で、壮絶な過去を経験した一人でした。

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~異色の漫才コンビでブレークするも突然の別れ~

大阪外国語大学外国語学部英語科(現在の大阪大学外国語学部外国語学科英語専攻)を卒業し1985年、漫才コンビ「非常階段」を結成。

最初は一般企業に就職するなど芸人を続ける気はまったく無かったにも関わらず、気軽に受けた漫才のオーディションで注目され、新聞に「大卒の漫才師」と取り上げられ、当時は全くいなかった「高学歴芸人」という異色の存在として一躍脚光を浴びます。

また、当時は女性の漫才コンビが少なかったこともあり、芸人への道を決意します。

そして、NHK上方漫才コンテストで最優秀賞、ABCお笑い新人グランプリ最優秀新人賞を獲得など華々しいデビューを飾ります。

相方のミヤコさんとは小学生の時に塾で知り合い、中学・高校・大学すべて同じでした。通常芸人さんは「仲が悪い」と言われることが多いですが、コンビを組んでからも周囲に珍しがられるほど仲が良く、家も同居するなど常に一緒。

しかし、結成から10数年後、着実にキャリアを積み重ねていた2人をひとつの病魔が引き裂くことになるのです。

番組の企画で、人間ドックを受けたミヤコさんに肺がんが発覚。医師が告げた通り、その半年後に30代の若さで他界してしまったのです。

相方の突然の死。いつも一緒にいたかけがえのない親友の死。その現実を受け入れることができない彼女は、その後漫才という道から退いてしまうことになるのです。

当時のことを彼女は、「漫才には魅力を感じていたけど、あの子じゃないとだめだと分かった。私はあの子とやる漫才が好きだったんだ。」と振り返っています。

1人で舞台に出ても上手く話すことができず、思うような力を発揮することができない日々が続いてしまいます。

そして相方がいた左側を見られず、顔の左半面がけいれんを起こすようになり精神的に昏睡してしまっていました。

 

~失意の旅で新たな出会いの一歩を歩みだす~

「笑わせることが命題の芸人が笑えない...」失意の彼女を見て、所属事務所は約半年間の休養を命じ、仕事を休んでニューヨークの友人のもとへ身を寄せました。

お笑いをやっていながら、いつまでも暗い顔をしていられない。それに日本にいても「相方亡くした女芸人」という目で見られるのを嫌い海外へと進んだのです。

日本での出来事を少しずつ整理した彼女は、持ち前の明るさと自信を取り戻し始めました。

そしてある朝、いつものようにジョギングに出かけたとき、彼女の人生を大きく変える看板を見つけました。

それが、「フェースエクササイズ」の教室の看板です。

調べてみると顔を鍛えるという内容のエクササイズで、自分が経験してきた顔のけいれんを変えられるかもしれないと興味を引かれて通い始めました。

すると、2カ月半ほどで顔のけいれんがなくなり、いつの間にか「フェースエクササイズ」の虜に。自信を取り戻した彼女はサルサダンスやさまざまな美容に関する習い事を始めました。

 

~美容を笑いにかえるきっかけは後輩芸人~

渡米から約半年後、ラジオのパーソナリティーのオーディションに受かり、帰国。タレントとして、1人での活動を再開し始めることになります。

そしてあるとき、「姉さんみたいな美容マニアは周りにいない。女の人を塾みたいに集めてイベントしたら?」という後輩芸人の勧めから、女性限定の美容イベント「べっぴん塾」を開催。

さらに、後輩から深夜番組でサルサダンスを見せてほしいと頼まれ披露したところ、なぜか一同大爆笑。若くないのに、肌を露出した衣装で堂々と踊る。そのギャップが視聴者から大反響を呼び笑いが起きたのだそうです。

その後は「美容番長」として数々のバライティ番組でひっぱりだこのブレークを果たすこととなったのです。

 

~つまづいたところがスタートラインだと思えばいい~

彼女の人生は決して順調な道のりではありませんでした。しかし、「この年齢でこの若さ、美貌」という立ち位置はいまの彼女にしかないのも事実です。

一時は引退も考えた芸能界での再起。

時間はかかったが彼女は、「相方が築いてくれたものをゼロにしたくない。相方が亡くなってからの人生は『おまけ』。つらいことがあっても、そう思えば何でも乗り越えられる。2人で歩んだ道のりを引き返さなくても、途中からまたスタートラインを引いて再出発すればいい。それが生き残った幸運を生かすことだと信じている。」と語っています。

人生はふとしたことで転ぶことが多い。それは誰にでもありえることであり、自分に関わる特別な人にも起こるかもしれません。

しかし、そこで一呼吸し一度立ち止まり、新たな区切りの一歩とすることで人生は何度でも変えることができることを彼女は証明したのかもしれません。

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