歴史に残る「偉人たち」の伝説エピソードまとめ【※鳥肌注意※】

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今回紹介するのは、歴史に残る偉人たちの伝説エピソードです。偉人たちの生涯は、伝説として語り継がれるエピソードに満ち溢れています。

ここで紹介できるのはそのほんの一部に過ぎませんが、どうぞお楽しみください。

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円谷英二

円谷英二は「特撮の神様」と呼ばれ、世界中の映画人に影響を与えた人物です。その生涯で数十本もの映画の特殊技術撮影を担当し、また「ゴジラ」や「ウルトラマン」などキャラクターを生み出しました。

円谷英二が特殊技術撮影に目覚めたのは1933年のアメリカ映画「キング・コング」を見たのがきっかけでした。円谷は「キング・コング」の特撮シーンの部分のフィルムを焼き増したものを一コマ一コマ研究し、それ以後も周りのスタッフに「キング・コングを見ろ」と絶えず薦めていました。

奇しくも円谷の最後の特殊技術撮影監督としての作品は「キング・コングの逆襲」という映画でした。

 

円谷英二の名言

「天から降ってくるのを待つのではなく、自分の力で作り上げることを喜び幸せとしなさい」

ブレーズ・パスカル

パスカルはフランスの哲学者であり、近代物理学の開祖とも言われています。幼少期から並外れた天才性を発揮し、確率論を創始し、「パスカルの原理」など古典物理学の原理を見出しました。

パスカルは神学者としても知られていますが、当時は勃興しつつあった「科学」とキリスト教の「神」をどのように論理的に整合するかが大きな課題とされていました。パスカルは「神」を「自然」の原理とは別の次元の存在とし、それ故に「自然」を語るための「論理」では神の存在を実証できないと考えました。これは後の「否定神学」に大きな影響を与えました。

 

ブレーズ・パスカルの名言

「無知をおそれてはいけない。偽りの知識を恐れよ」

 

岡本太郎

岡本太郎は大阪万博の「太陽の塔」などで知られる芸術家です。20代をパリで過ごし、抽象美術やシュルレアリスムの運動を自ら体験しました。5年間の徴兵生活ののち、戦後に絵画と立体造形の作品を数多く生み出し、また縄文文化や沖縄文化に関する研究、著述でも知られています。

岡本太郎は小学校に入学した時、教師の「数字が書ける者はいるか」と呼びかけに応え、黒板に「四」の字を書いたところ、その書き順が間違っていたために教師から叱責されます。

それ以後、太郎はその教師の授業では耳を塞ぎ、一切話を聞こうとしなかったそうです。

 

岡本太郎の名言

「不動のものが価値だというのは自分を守りたい本能からくる錯覚に過ぎないんだよ。破壊こそ創造の母だ」

 

ジョン・ケージ

ジョン・ケージはアメリカ合衆国の音楽家です。クラシック音楽に「偶然性」の要素を取り入れたり、ピアノの弦にボルトやゴムを挟んだ「プリペアド・ピアノ」など考案しました。またキノコ研究科、アナーキズム思想家としても知られています。

ケージはある時師匠であるシェーンベルクから「音楽には和音の感覚が不可欠だ」と言われました。ケージは和音の感覚を持っていないという自覚があったため、それをシェーンベルクに伝えると、シェーンベルクは「それは君にとって音楽を続ける上での壁になるだろう」と言われます。その時ケージは「それならば自分は一生壁に頭をぶつけ続けます」と返答したそうです。

 

ジョン・ケージの名言

「過去の素晴らしい発見のほとんどは、「雇われていない人達」から出て来ているみたいなんですよ。つまり、雇われている人達というのは、上から言われたことしかしない傾向があるんです」

 

カール・ポパー

カール・ポパーはアメリカ合衆国の哲学者、論理学者、科学史家で「反証可能性」という概念を提唱したことで知られています。「反証可能性」とはある言説の中に反証(反論)がなされる余地が含まれているということを意味します。

ポパーは科学の発展は「反証」を原動力にしているとし、「反証可能性」の多い言説は、それ故に「間違い」である可能性も高いが、同時にそれだけ大きな情報量と可能性が秘められているということでもあり、間違いを恐れてその言説を発することを封じてはならないと考えました。

ある時ポパーは知り合いの心理学者アルフレッド・アドラーに彼の理論では説明の付かない(と思われる)ある子どもの例を語ります。それに対してアドラーはそれを尚自分の論理に沿った形で説明しました。

その説明を聞いたポパーは、「どうしてそれが正しいのですか?」と訊ねました。それに対するアドラーの返答は、「これまでにもう1000回以上このような症例を見てきた」というものでした。

ポパーは皮肉を込めて「これがあなたの1001回目の症例になったのですね」と言ったといいます。

これはポパーの反証主義によれば、1000回の実験において同じ結果が得られたとしても、1001回目ではその結果が覆されるという可能性を「科学」は捨てられないのであり、それ故にアドラーがもし自身を「科学者」であると自覚するのであればそれを弁えるべきである、という含意を持った言葉でした。

 

カール・ポパーの名言

「空を飛ぶことを可能にしたのは、空を飛ぶ夢である」

 

宮武外骨

宮武外骨は明治から昭和にかけて活躍したジャーナリストで、当時の政治家や官僚、大メディアなどを痛烈に批判する文章を書き、吉野作造など当時の知識人から敬愛を集める一方、その生涯で計4回も投獄の憂き目に遭っています。

また、いくつもの雑誌を創刊し、ヒットも連発しているのですが、当時の言論弾圧による廃刊や過激すぎる内容への敬遠など、経済的な浮き沈みも激しかったようです。他にも文字で描かれた絵であるアスキーアートの発明者、ダジャレや言葉遊びの名人としても知られています。

宮武外骨という名前は、18歳の時に自分自身で改名した名前であり、本来の名は「亀四郎」でした。これは「自分の名乗る名前は自分で決める」という明治維新後日本に輸入された「個人主義」に基づいた行動であると言われています。

また、「家と家の取り決め」としての「結婚」にも反対し、自身の娘の結婚式に出席しなかったというエピソードもあります。

 

宮武外骨の名言

「予は危険人物なり」

まとめ

いかがでしょうか。常人にはとても真似できないような業績を残した偉人たち。彼等の言葉や行動は私たちをこれからも奮い立たせ、新たな視点への気付きを与えてくれることでしょう。

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